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アトリエ ももからのメッセージ

辛い時はももにお話しください

辛い時はももに頼って下さい

人は時として辛く、悲惨な環境に身をさらさなければならない時がある。
八方塞がりで出口さえ見えない時期もある。
その辛さや痛みを我慢したり、閉じ込めていると知らぬうちに病になることもある。

心にため込んだ苦しくて辛いこと・怒り・悲しみ・長く続く暗いトンネルの中にいるような感覚。
家族や友達・先生にすら言えないこと。
どこの誰とも関わりにないももにお話しください。

心の重荷を外すと、軽くなります。
ももが寄り添い温かく包み込みます。
深く傷つき、落ち込んだ人ほど、人生の成功者だと思います。
そこからももと一緒に幸せになりましょう。

もものおもな病気・辛かったこと

もものおもな病気・辛かったこと

学校でのいじめ・大学受験失敗・社交不安障害・アダルトチルドレン・うつ・パニック障害・性的DV・恋愛依存・
パートナーの会社倒産(もも自身、保証人となっていた為)
パートナーの両親の過酷な介護・子育ての悩み・離婚・不倫・自殺未遂2回

しかし、30年余り通ってきた道を全て克服し、美容室経営成功!
今は元気でとてもハッピーでしかたない!
ワクワク、ドキドキ、ルンルンで毎日を楽しんでいる。
ももみたいに、らく~にらく~に幸せになろうよ~!

カウンセリングを受けて頂く上での注意

現在精神科に通院中の方・精神安定剤などを服用中の方・その他重度の身体的・精神的症状のある方は、必ず主治医に相談の上、主治医の判断を優先してください。

※妊婦の方
主治医に相談の上、なお且つ自己責任でセッションを受けていただくようになります。

カウンセラー紹介

アトリエ もも カウンセラー 香月 麻弥子

カウンセラー紹介

1962.3.14 佐賀で生まれる
愛知県の美容学校卒業
美容室勤務を経て1987年美容室開業
思春期より、不安定で生きづらさに悩み、コウカウンセリングを始め、数々のカウンセリング啓発セミナーなどを経て現在心理カウンセラー&美容室経営



・貧しかった少女時代
ももは1962年佐賀で生まれる。
三兄弟の長女で両親と祖父母に育てられる。
父は結核で、当時は新薬もなく長い療養生活で、母は子供3人、祖父母を養うために懸命に働いた。
しかし、給食費も払えないほど貧しい家だった。
長女である私は母親に心配かけまいと、勉強、部活で頑張り、教師を目指していた。
しかし、その反面でイジメやお金のことなどの不安を抱きつつもいい子ちゃんを演じることは、かなり辛かった。
俗にいう、アダルトチルドレンでした。
その後経済的に国立大しか行けなかったが、受験で失敗する。

大学進学のことしか考えていなかったので、名古屋のおばの美容室で雇ってもらい、来年も受験しようと教科書、参考書もこっそり荷物に入れた。
しかし、美容室の見習いもそんなに甘いものではなく…。
朝6時起床、寮での朝ごはん作り、洗濯、地下鉄での出勤、9:00~19:00まで働いて、22時まで毎日レッスン。
帰宅は24時。
さらにおばの子供の世話、学校での勉強を見ていた。
お休みは週一で、門限は夕方17時。
そして、アダルトチルドレンでいい子ちゃんは2年ぐらいで限界になりアウト~!!
疲れ果てた精神状態と大失恋でなんの為に生きているのか分からなくなり、自殺未遂、おばの家にあった置き薬を一気にほとんど飲んでいた。
救急車で搬送、胃の洗浄と点滴で助かる。
うつになり実家佐賀に帰る。
3ヵ月ぐらい引きこもり、外に出ず、死ぬことしか考えていなかった。
父親はそんな傷つきまくって死にそうな私を一生精神科の病院に閉じ込めると言い、まだまだ不安でたまらなかったが、美容室に復帰!!
2年近くなんとか勤め、24歳の時、友人の紹介で結婚。
しかし、彼を愛していたわけでもなく、職場の先輩があまりに怖くて逃げ出したくなり結婚した。
若さゆえに結婚したら幸せになれる、ハッピーエンドなシンデレラになれる予定だった。


・楽しい結婚生活?????
シンデレラは王子様と結婚し、幸せに暮らしましたとさ、で物語は終わるが、そんなの甘かった。
日本の結婚した女性は奴隷みたいだと思った。
主人は理容室の三代目だったが、生計は立てれず、私は仕事をしながらいくつものバイトをした。
主人の父・母・妹と同居のため息がつまり、自分の居場所が欲しかったため、子供を1年足らずで保育園にあずけ、美容室をオープンさせる!
3歳までは母親が育てないと安定した子供には育たないなどと周囲から言われ、子供には申し訳なく思いながらも仕事に没頭した。
自己否定感のかたまりみたいな私はしばらく子供を抱くことさえままならなかった。
自分自身の存在が地球のゴミだと思っていたので、そのゴミみたいな私から生まれてきた子供を体が拒絶した。
かわいいと思えなかった。
しかし子育てをしていくうちに、子供のDNAの半分はパートナーの遺伝子なので、全く別の人格である私とは気質も顔も似ていなかったのである!
不安定なゴミみたいな顔からでもしっかり安定したのびやかなアクティブな子どもは育つと確信した。


・もも流の子育て
私自身が母親の時間を割いてはいけないと思って育ってきたので、子供が私に話をする時は、どんなに仕事や家事が忙しかろうが、5~10分はしっかり彼女の気が済むまで話をきいてあげた。
そんな彼女はまた安心して学校や社会へ飛び立って行った。
子供は安全な場所が幼少期に確保されると、次第に自己肯定感が強く安定した子供に育つことが分かった!


・結婚してから初めてのセックス!?
私達の時代は結婚前のセックスはタブーとされており、 もし結婚前にバージンをなくしたら結婚できないくらいの貞操観念があり、 周りの大人たちからもその様に教育を受けた。
今の時代ではちゃんちゃらおかしいのだが、私は24歳、パートナーは29歳だったので、 私はパートナーのセックスはノーマルだと思っていたが、 日本の男性の性の教育はアダルトビデオによるものが多く、男性優先で女は従うものだと思い込まされている。 ハリウッド映画みたいに女性を優しく扱うことなどしない。 私も初めてで性に関しては何の知識もなかった。 私は膣にバナナやきゅうりを入れられたりして遊ばれ、 男性のただのセックス処理機みたいだった。
もっと大切に扱ってほしかった。 誰にもそんなこと恥ずかしくて言えず、黙って家出をした。 彼は私を傷つけたことに気づき、迎えに来たが、許せなかった。 人として大切な女性として扱われなかったことに対して、 怒りと悲しみでいっぱいだった。
今は離婚なんて日常茶飯事だが、私達の時代は恥でしかなかった。 私は彼の親や親戚から嫁としてなっていないと罵倒された。
田舎の親類の多い家庭はプライベートなどほとんどない、 あまりの環境の違いに戸惑い、段々感情に蓋をし、怒りと焦りでいっぱいの20代だった。


・介護と視線恐怖症(社交不安障害 SAD)
美容室オープン以来の子育て、仕事に大奮闘した矢先の30歳の時、パートナーの母が脳梗塞となり、義父もアルコール依存症に。
仕事・子育てに加え、壮絶な介護に入る。
ここでも嫁に対する抑圧を感じる。
昼は仕事、夜は義母の隣で眠り、オムツ・食事の世話・睡眠も少なくなり、疲れ果てて身も心もズタズタになっていく。
(法的には実子が見る義務がある。)
お店でいつも通りカットしていたが、突然心臓が止まるぐらいの見苦しさ・手の震え・汗で立っていられなくなった。
この時、視線恐怖症…今でいう社交不安障害になる。
パートナーから気合が入っていないと殴られたりした。
誰にも相談できず、当時数少ないカウンセラーに出会う。
お店に立つのが怖くなり、カウンセリングと安定剤でなんとかやり過ごしてきた。
社交不安がひどい時は宅急便の受取のサインすら書けない。
PTAの役員になった時も黒板に字が書けなかったりしてかなり不自由となり、段々と人と関わりたくなくなった。
しかしお店の借金もあり、安定剤を飲み店に立って頑張り続けた。
夜、付き添いの介護で睡眠が取れず、追い込まれていく。
私は義母の首に手をかけようとしていた。
ハッと気づき思いとどまったが、もう限界だと思い、老人施設に入居させる。
アルコール依存の父は相変わらずで、パートナーはいつも頼りなかった。
母の葬儀では、親類のおば達が喧嘩を始め、逃げ出したかった。
パートナーにもっとしっかりしてほしかった。


・会社倒産と破産
パートナーは45歳の時、最後のチャンスだからと私の反対を押し切って代行運転の会社を始めた。
社員のトラブルの処理等まで手伝っていた。
しかし軌道に乗れず、お金が回せなくなり、銀行・サラ金の催促で電話は鳴りっぱなしで怖かった。
お米すら買うお金もなく、倒産し、保証人である私も必然的に破産。
とてもとても惨めな気持ちだった。


・不倫
介護・仕事・子育て・家事・親戚付き合い・会社の倒産・破産・パートナーのリーダーシップのなさに、 もともと恋愛依存的な私はほっとする場所が必要だった。
不倫は十分悪いことだとは分かっていたが、私が生き延びる為にパートナー以外に相談する人が必要だった。 不倫相手の彼は、私の24時間カウンセラーだった。 10年間、彼がカウンセラー代わりになってくれたおかげで 本当に毎日毎日戦争みたいな日々をなんとか事倒れないで生き延びることが出来た。
10年間、本当にお世話になった。 しかし、別れはやはり訪れた。 私が47歳の時だ。 10年間頼りきりだったので、彼の存在が無くなり、 ずっと張りつめていた何かがブチッと切れ、農薬を飲んだがやはり助かった。 更年期と重なった長いうつ期に入る。 抗鬱剤、安定剤を使い、お店には這ってでも出るような感じだった。


・薬を手放し、更年期とのお別れ
長い間自分を酷使し、安定剤を使い仕事をこなしていたが、1錠が2錠とだんだん増え、麻薬のように乱用していた。
医者に廃人になると言われ、断薬した。
しかし、薬を抜くことは大変だった。
いたたまれない不安、眠れない、たまらない恐怖。
過酷だったが、徐々に慣れていった。
断薬とまではいかないが、ほとんど飲まなくても大丈夫になった。
断薬に近い52歳の時、子宮委員長のはるちゃんのブログを読み始める。
今まで自分の体の声を無視し続け、悲しみや恐怖・苦しみを薬で蓋をしていた。
はるちゃんもいろんな経験を経て、自分軸で素敵にのびのびと生きている。
子宮委員長のはるちゃんに習い、少しずつ心(女性は子宮)と体の声を聴きながら、自分軸で好きなことをして生きていくことに決めた。
もうそれしかなかった。
少しずつ幾重にも我慢していた思い蓋がはがれ、感情があふれ出し、辛いことではあるが、そこから生命のエネルギーがほとばしるようだった。


今でものびのび生きるために頑張っている最中。

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